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Atsushi Sasaki Interview
俳優 佐々木敦インタビュー

作品を創り出すときには、自分の中には何の意図もない…。
『身体』と『内側』がどうあるかってことを大切にしたいと思う。

「部屋でラジオを聴いていた。窓には新聞紙で目貼りをし、
そこら中に破り捨てた新聞紙やマンガ雑誌が散乱していた。
25才でOM-2に参加するまでを『ぽっかり空いた時間』だった」
と佐々木は言う。
その期間のことはあんまり憶えていない。

ヨーロッパ、アジア各地などでも絶賛される怪優・佐々木敦。
「人間嫌い」「引きこもり」と噂される彼だが、実際はどうなのだろうか。


Q : OM-2に参加したきっかけは?

 
「知り合いに誘われて93年に田端die pratzeにOM−2の『赤』の公演を手伝いに行った。最初は幕を吊ったり、音響ブースを作るのを手伝ったりしたなあ。舞台に1m20cmの傾斜を作ってその上に大量の砂を運んで敷き詰めたり…。それで『赤』の公演自体を観たときに、自分がそれまでいいナとか、正しいとかきれいと思っていたものが全部、引っくり返った。
 物凄く怖い経験だった。だって自分が生活をしてきて段々と積み重ねていった価値観が全部、吹っ飛んだ。僕はそれまで、これといった変化というものが無い生活を選んできたから、その経験を受け入れるのが怖かった。そのあと94年のシンガポールでの公演にも参加したんだけれど、その一年間は本当に心の中が激動していた。今思えば、よく耐えられたなあ。」

 

 時おり目をグーッと瞑ったり、身体を大きく仰け反らせたりしながら喋る。

 「シンガポールの公演の時に『視線』というシーンがあった。それは整然と役割やセリフのあったそれまでのシーンから、まったくそういったものが無くなって、ただただ約30分間、観客を見つめ続けるシーンだった。僕は黒子(スタッフ)だったから出ている俳優をサポートしていたんだけど、その世界に入っていきたいと思った。
入っていきたい、その場にいたい、その中に入りたいと思ったのをすごくよく憶えている。見つめるという行為なんかじゃなくって、そういう人の状態そのものが凄いと思った。」

 作品創りについて尋ねると、彼はゆっくりと、かなり厚ぼったい両の手の平を僕に向けながら…

 
 「僕は何かを創るっていうのは、特別な人で思い入れが強い人が創るものだと思っていた。音楽・映画でもなんでも、自分自身が生み出せるなんて思いもしなかった。想像したこともなかった。」
 ?首をニューっと上に伸ばしたり(かなり長い)ふっと縮めたりしながらリズミカルに喋る。時折のんびりとタバコを吸う。
「アレ?どうやって創ったのかな?とよく思う。今でもどうやって創っているのかさっぱり分からない。いつも何かを始めるとき、振り出しに戻っている気がする。でも実感したのは、ここで終わらない、これがずっと続いていくんだなあってこと。そして実際に続いているし、終われないし終わらない。結構、大変。
続けていくことの大変さと大切さ。ずっと続いていくことに向かって行く覚悟とか、いまだにその辺が弱いなあ、変わらない。」

 新聞・雑誌が覆うように乱れ飛んで劇場が廃墟のように変わっていく『いつか死んでいくであろうすべてのものたちへ』。また「ハムレットマシーン」では透明の個室でマスターベーションに耽り、結果、射精。消火器を噴霧し猛り狂う佐々木敦。
 海外での評価が特に高いのは、その言葉による説明なんか不要とする現前で「生きる」姿なんだろうか。

 
「全部に言えるんだけど何かの作品のために思いついたり、創ったりしたことはない。僕がパフォーマンスの中で体験することは、行為でも身体でも全部OM-2以前の僕の部屋であったことなんだ。
一人暮らしでのアパートでの状況。
作品を創り出すときには、自分の中には何の意図もない、散乱するゴミ、吐しゃ物、ダッチワイフ、消火器、真っ暗に目貼りしたことなど全部、自分の部屋の中の出来事。」



コップを指で鳴らす、ジッパーを手早く上げ下げする、
手指をササッと曲げ伸ばしたり身体の内側から触手がニュルっと目の前で喋る佐々木から伸びる。
音楽やダンスになる。
普通、目の前で鳴る音は少し遅れて僕の頭に感じる。
映像もちょっとだけ遅れていつも僕に届いている気がする。
でも目の前の佐々木は逆だ。
身体の内側から鳴った音が少し遅れて身体に起こる。内側に身体がついて来る。

「でもそうなると、僕のパフォーマンスは一歩も部屋から出ていない。
ずーっと部屋の中にいるんだなあ。部屋の中から出ていない。この後どうするんだろ」

Q : 本当に部屋から出ていませんか?

「こうやってパフォーマンスしてみて分かったことは、これは次回の『リビング』にも強く言えることなんだけど、部屋はそれでも何かしら外とつながっているっていうこと。僕の身体が引き起こす部屋はやっぱり社会を反映しているんだと思う。アウトプットの場所として舞台を見つけることができるって、そのことに気づいたんだ。
やっぱり再演だからっていっても、創ったときの自分の身体も時間の感覚も少し変化しているんだから、そのことに注意して、そこで『身体』と『内側』がどうあるかってことを大切にしたいと思う。行為や事柄なんかじゃなくって…。
ちゃんと生きないといけない。でもそれが難しい。今日までやってきてそれだけは理解できた。」