-私達はどこからきて、どこへ行くのか-
情報や物質が溢れる現代社会に生きる私達。
私達にとっての<楽しさ>や<満足感>は何を基準にしているのだろうか。
本当に私固有の価値観を基準にしているのだろうか。
それともその価値観は誰かが決めたものなのか。
もしかしたら「私は今楽しくて、今満足しているはずだ」と思い込もうとしているだけかも知れない。
現在、私たちは私たちが生きていく上での核と呼べるものが、見え難くなっているのではないか。
その核の外側をぐるぐると循環しているだけで、中心は空洞化しているのではないか。
そしてそういった空洞化の有り様を演劇の問題として捉え、探り、表現していこうという作品。
劇場は円形で、6つの巨大スクリーンで囲われている。その内側に客席、舞台がありモニターが点在している。
スクリーンとモニターにはそれぞれ映像が映っていて、俳優達はその映像とリンクしながらダンス的な動きと台詞を用いて演技してゆく。
音楽にはヨーロッパで活躍中のVasiliskの舘野 剛氏を迎え、好評だった前作「K氏の痙攣」の流れを汲みながら、
さらに踏み込んでより強烈で斬新な世界を展開させてゆく。
映像と実像が交錯し、観客を含んだ劇場空間全体を巻き込み、突き放し、私達の<今>を突き付ける。
1999年 神楽坂ディ・プラッツ公演 Circulate-1
「成長し、変化して行く」事を前提に作られた演劇。
観客を囲む(360度に!)映像、字幕、音楽そして激しく動くパフォーマー達の爆撃。
1999年 スイス・ベルン
reithalle 公演 Circulate-2
学生運動をその出発点としながら、街の文化活動の一環として根付き、支援を受ける
reithalle。
日本の小劇場と似た環境でスタートしたにもかかわらず、ここでは「実験演劇」は「対立するマイノリティ」ではなかった。
多くの支援者、援助者がサポートする一大パフォーマンス空間で、新たな波紋を広げる。
1999年 Mentally
Shocking Arts Collection Circulate-3
ディ・プラッツに戻り、一度はその「循環」も閉じるかに見られた。
しかしそれは、新しい環のスタート地点なのだ。