この作品は日本で新しい演劇の形として話題を呼んだ「檻と視線」シリーズ3部作のうちの1作で、
1994年に海外進出を果たし、回を重ねるごとに改訂を繰り返し現在の形に至っている。  
観客は鉄パイプ製の<檻> 状の"動く客席"につき、劇の展開に合わせて移動しながら作品のなかに取り込まれて行く。 
闇の中での役者の会話、大音響、火花。  
やがて、舞台と客席の区別もない、建築現場、といった空間のなかで、観客と役者が数十分という長い時間見つめ合い、
トランス状態のなかで抱き合ったり、台本に無いストーリーが展開していく。
それは今迄にない何ものかを建築してゆくイメージで作られた。

私達 OM-2のコンセプトは、既成の手法であるプロセニアム、演技、台本(言葉)などではない、今迄にない劇の在り方を追及することである。
今回の作品は、その1つの試みとして、現代人の情報社会における人間同志の関係を私達流に現出させたいと思っている。

There, in the darkness,...

1994 Singapore Festival of Arts参加
    OM-2として初めて海外に出た。フェスティバル実行委員会及び現地スタッフの多大なる協力のもと、公演は成功を収める。
    自ら追い求めてきた「実験性」という要素は国外でも通用するものであった。

  

1994  Cairo International Festival of Avantgarde Theatre 参加
     その「実験性」をさらなる場を求め、展開して行く。
    ここでは初めてその「目新しさ」だけではなく、追求するイメージを評価され、「評論家選最優秀作品賞」に選ばれる。
    また、その評価から、翌年「I,F」を同フェスティバル招聘の元、実現する。

 

1995 東京凱旋公演
    「常に展開して行く」というOM-2のポリシーは引き継がれ、同作品はさらなる展開を求める。
    法政大学大ホールという「庭先」の環境で、海外公演という足枷を外され、作品は新たなる規模を手中に収める。
    そしてそれは、「凱旋公演」という肩書きもあってか、新たなる問いかけを日本に投げかけた。

     


 「圧巻は視線のシーン」
観客に観客席という「安住の場所」を与えず、ただ「見るだけ」という特権も剥奪する、実に刺激的なパフォーマンスであった。(中略)ここでは役者や観客という立場は消える。個人と個人の間でどんな人間関係が生まれるのか…私たち日本人の生活から、見つめ会うことがいかに失われているのか、気付かされる瞬間でもある。(中略)コンピュータでなく人力による、問いかけに満ちた「やみのディズニーランド」と呼びたい楽しさに満ちている。今年、後は海外公演だけというのがちょっと寂しい。
"毎日新聞"1995年2月10日より抜粋
   

 

1995 Sigma 31 参加
    過去31年間に渡り、ヨーロッパの実験演劇の発表の場であったフェスティバルに招待される。
    そこは、今までにない前衛的パフォーマー達の交流の場であり、また、そのパフォーマンスを受け止める客がいた。
    OM-2は、実行委員会の要請を受けプログラム外の追加公演を行うという名誉を与えられ、 更に新たなる刺激に揉まれ行く。

  

  "Le choc des regards"
「視線の衝突」 距離をおいて演技を見るという興行の域を離れ、数センチの近さで役者を見るという状態に浸りきる。役者は極限の感情をこれほど観客の近くにさらすことを恐れていないようだ。
フランス"SUD OUEST" 新聞1995年11月11日より抜粋

 

1996 New York "The Kitchen"公演
    今までの「フェスティバル招聘」という井戸から飛び出、単独公演を行う。
    舞台芸術の最先端を行く彼の地でOM-2が得た評価は、地元、東京で得るものより更に熱く、自らを奮い立たせるものであった。


「檻と椅子の実験」
"Nocturnal Architecture"のゴールはただ雰囲気を創り、伝統を壊すだけなのか。観客と出演者の線をかき消し、あのカーニバルもどきや強力な視線のように日本的安寧秩序の予感を西洋風ホチキスでつなぎ合わせて2文化を併置しているだけなのか。OM-2は観客を常に爪立たせてきた。そのユニークな作品と、檻の中のつらい客席のせいで。しかしそれは小さな犠牲にしかすぎない。もしOM-2が再びニューヨークに来ることがあったら是非注意しておくべきだ。見逃さぬ ように。
ARTS,ENTERTAINMENT & INTERNETパトリック・マーティンス "NEW VOICES"誌1996年10月より抜粋

 

1997 チュニジア・カルタゴ演劇祭 招聘公演
     「果たして我々はどこまで通用するのか」... 問いかけと本能に任せ公演の地を探す。
     そこは ローマ時代の遺跡をも公演の場とするを良しとする、心広き、そして手厳しい評論の民の地であった。
     彼らもまた、古き遺産を新しき刺激に晒すことで何かを見いだそうとしていたのかもしれない...

 

OM-2の作品は超現実主義のフレスコ画が描き出す人間の負の部分に生きる人々の世界のようである。(中略)役者の行為と演技はデカダンスのなかで常に人間の本性をより追い求める姿を表している。この作品は演劇が未だ踏みこんでいない実験性の最極の世界を推し進めている。予測のつかないアクションと空間。シナリオのない強烈な演技。このドラマチックな作業は動きと構成と音響に集約されている。激しい音とメタリックでバロック的でもあるカオスを思わせる音楽によって規制は失われ、行き場の定まらないこの世界を支配してゆく。
チュニジア “ALHAYET ATHAKAFIA” 新聞1997年10月27日より抜粋

 

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